今朝の新聞に「無人タクシー」に関する話題が載っていた。
無人とは勿論、客がいないタクシーではなく、運転手がいないタクシーのことで、「ロボットタクシー社」というドリーミーな名前の会社が、2020年代の実用化を目指して実験中とのこと。
一般の車でも無人化が話題になっているが、運転手がいない車両はどんな乗り心地なんだろうか。そして、多くの雇用を抱えるタクシー業界はどうなってしまうのだろうか。
車の運転に限らず、将来的に機械が人間にとって代わる仕事は多いようで、少し前にはオックスフォード大学のオズボーン准教授らが著した「雇用の未来」という論文が私の身の周りでも話題になっていた。
内容は、コンピュータの技術革新によって今後10~20年間のうちに、単純労働は自動化され、多くの雇用が機械に奪われるというもの。
そしてその論文によれば造園作業も機械化され、作業員の仕事がなくなると指摘されていた。
しかし、ここには日米の大きな違いがあると私は思う。
欧米式の庭園管理では、樹木を幾何学的に刈り込んだり、広大な土地の芝刈りをすることが多そうだ。これならば機械化に分があるだろう。だが、日本、特に都市部では狭い土地に植えた庭木を人間の生活と調和させるために長い年月をかけて剪定の技術が蓄積されてきた。そうした細やかな技術を機械に代替させることは可能なのだろうか。
樹木の個別性、気候などの地域性、まわりの景色とのバランス、施主の嗜好、季節的な要素・・・こうしたものすべてを人工知能に組み込んで仕事をさせるのは難しいのではないだろうか。庭の管理には芸術的な感覚も必要である。そうあってほしいと個人的に思う。
しかし一方、街路樹などの剪定を見ていると、機械でやっても良さそうな適当な仕上がりのものもあったりする。公共の仕事では仕様が細かに定められ、芸術的なセンスなど求められないことが多い。
そもそも植木の管理にコストをかけたくない方が圧倒的に多い時代だ。人間ならではの仕事をしないと、いつの日か自動剪定機が町じゅうの木を昇り降りしているシュールな光景を見ることになるかもしれない。
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ひよ (水曜日, 09 12月 2015 01:36)
たまに街路樹の剪定や、廃屋の伸びすぎた木の剪定が、そんな自動的な剪定のような雰囲気になっているような気がして、共感できました。
niwa-iro (水曜日, 09 12月 2015 19:13)
ひよさん(!?)コメントありがとうございます。
人間にしかできないような仕事(職種、水準)をしていきたいものです。